哲学・論理学へ進むゲームメカニックマン以外にも、勉強と言うものは、ゲームの役に立ちます。
もし、今の危機を乗り切ることが成功したら、次は文化として確固たる地歩を固める為に、社会的な意義と奉仕の位置付けを必要とするでしょう。
いつまでもゲーム=社会問題=悪では、業界は経済的寄生体以上に成長することはできません。
ゲームを社会のシステムの一部として、社会全体に寄与する存在として、すなわち文化として定着させるためには、ゲームは、社会秩序や世論形成に一定の影響力を行使する必要があります。これは映画やテレビと同じです。
現状、ゲームは害悪で、教育に悪く、社会的弱者に決して決して優しくはありません。それでは、駄目だ。少なくとも表立っては、業界は善たる必要があります。
この方面の戦いは、アルファ・システムや、ワープみたいな小さな会社がいくらがんばっても、駄目です。これは業界全体で、わけてもリーディングカンパニーが先頭をきって長い期間取り組む必要があります。
たとえば片手が不自由な人でもPSのコントローラーはホールドしやすく、右手だけでもある程度までは操作が出来るような、「優しい」設計になっています。
この点だけに限れば、ドリキャスはかなり劣ってます。(N64は次点) 日本人の男子に多い色弱に関する規定に関して現行では、まだ各社とも対策が不十分です。
口で操作するコントローラーがあれば、ゲームはもっと人を幸せに出来ます。
ゲームは人を幸せに出来る。人文系の方々には、この点に関して大きく寄与出来るチャンスがあります。
ゲームをやってゲームが好きなら、できることがあります。
まず、ハンディキャッパーへの取り組みを本格化させる、ゲームは誰かを排除する仕組みでないことを、全てのゲーム関係者に思い出させてやる必要があります。
次に、社会派のゲームを育てていく必要があります。
ゲームが教育の時間を奪うものなら、補ってやればいいだけの話だと、アルファ・システムは考えます。 現状、社会派のゲームなんてと聞いた瞬間に顔をしかめそうですが、映画や小説、マンガでは思想形成などに良い影響を与えているものは一杯ある。
これはゲームと言うメディアが悪いのではなくて、その種のことに感心があるシナリオライターやゲームデザイナーが少ないことに端を発します。
この方面で新しい血をどんどん入れる必要があります。
ゲームの市場規模から考えれば、高等教育者や人文系の学士達も相当数がゲームを遊んでいるはずです、彼らを味方に引き入れ、夢と希望が工場からせっせと作られてくる仕組みを整える必要があります。
また、業界団体を中心に、売り上げ金の一部を子供たちの救済のために還元する仕組みを作る必要があります。
ゲームが広がって一般化すればするほど、そのゲームを遊んでいない子がつまはじきにされる。そんなことがあってはなりません。
今はまだ普及率や売り上げが低いから出来ていませんが、全土にゲームを普及させて儲かれば、何パーセントかの弱者に一部の売り上げを還元するだけで、普及率を限りなく100%に近づけることができます。
ラジオもテレビも、そうやって広がってきました。科学が発展して、みんなが持っているアイテムが、もう一個増える、そういう未来が望ましい。
増える一個は、人を幸せにする機械がいい。つまり、ゲームだ。
今のゲームクリエイターは、視野が狭いのです。まだ裏街道を歩いていた頃の記憶が生々しいから、それは仕方ないかもしれませんが。
だが、いつまでも日陰ではいられません。日陰者でいるには、業界は大きくなりすぎました。 そろそろ太陽の下で、堂々と、弱者を守って戦う時が来ます。それが資本主義構造におけるまっとうな社会の発展だということを、説いてまわる常識人の連中が沢山必要です。
今、ゲームが好きだと言って表だって戦っているファンとクリエイターでは戦力が足りません。情熱と体力だけでは、ゲームは子供達を幸せに出来ません。
これからは新しい血が、今迄の体力と情熱を持った人々に加えて知力と良識を持つ人々の参画が必要になります。
誰も知らない間に、この業界には参入障壁が出来上がっています。
現状の地位を守ろうと、前進する努力を放棄した、本来の役目を放棄した悪しきクリエイターどもが、学のある奴がゲームなんか作れるわけねえよ、と有形無形の発言でファン達を惑わせているのです。
それがかつてこの国を不幸せにしたシステムの一つ、旧日本陸軍首脳部とまったく同じ弁法であることを、彼ら自身すら気付いていません。
差別の時代は、50年も前に終っています。そんな亡霊達にファンや、私達が仕事している、夢と希望をくばって歩く楽しい稼業を食い物にさ
せるわけにはいきません。 株式会社アルファ・システムは、これら人外の化け物のことごとくを叩き潰し、次の時代にもう少しだけましな世界を渡したいと考
えています。
体力バカがインテリを怖がるのは、あるいはその逆が起きるのは、分からない訳ではありません。だが、本来ゲームは学歴や地位や立場を超えて、普通なら絶対に逢うことのない人々が、一緒に楽しく遊ぶものです。
ゲームを作る時だって、それは同じであるべきでしょう。
未来のゲームクリエイター、そして今、学生である皆さんが勉強を放棄してゲームの世界に進む前に、我々今のゲームクリエイターは皆さんに伝えたいことがあります。
それは一社会人として悪を告発する力、まっとうなことを擁護して、これを説明する力を身につけて欲しいということです。
今の大人がそれが出来ないからと言って、あなた方がそれに付き合う義理はありません。
もう少し良い世の中を、もうすこしマシな大人になって歩きなさい。
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