5.デモンストレーション:知能境界線上の冒険(AIとは?)


 ここまでは、なぜ勉強が必要で、どんなことが必要になるかを、説明しました。
さあこれからは楽しい楽しい、未来のゲームの話をしましょう。

 ゲームメカニズムは20年間停滞していましたが、言い方を変えれば、これから20年分を一気に取り戻すチャンスがあるということです。
 20年を一瞬で。目も眩むような進歩の世界が、まばゆい未来が待っていると思ってください。

 我々は、今学生である皆さんがこっちの業界に来るまでに、なんとか10年分くらいは取り戻してみようと思っています。
 今後アルファ・システムが開発した企画技術のすべては、いつか来るみなさんのために公開したいと思っています。特許もなにもなし、無制限で無条件です。
 私の好きだったゲームデザイナーはみんな、特許がどうだと細かいことは言いませんでした。その結果、今の業界の発展があります。私も微力ながら、彼らに続きましょう。

 でも本当に学んで欲しいのは、今がどうなっているかではなく、今後、これらを基礎に未来をどうしていこうかということです。
 過去はただの想い出です。今は一時の腰掛けです。重要なのは、未来をどうするかであることを、良く心に刻んでください。
 

○制御系のおはなし
最初は大砲から
 兵器の世界では、1940年代を皮切りに大型化の一途を辿っていた兵器体系に修正が加えられました。

 誘導兵器。すなわちミサイルの誕生によって、巨大な大砲や大量の弾薬が順次姿を消して行ったのです。誘導兵器とは、要するにそれまでの当 たるも八卦的な確率論の射撃兵器から、制御系の技術発達により、無駄のない(百発百中に近い)命中を期する射撃兵器になったと言うことです。

 過日日本海軍を率いて奮闘した東郷平八郎元帥が百発一中の大砲百門と、百発百中の大砲一門の価値は等しいと述べていましたが、実際は、百発百中の一門の方が圧倒的に資源的コスト的にパフォーマンスが良いわけです。
 もっともパフォーマンスなどという概念を百年前の人間に求めるのは難しいかも知れません。

 なにはともあれ、制御系を発達させれば、大幅にパフォーマンスがあがるのは、画期的なパラダイムシフト(思考転換)でした。

 1950年代を境に、軍用民生問わず、それまで大型化、強力化を推し進めていた器機が、一転して小型化しはじめたのです。
 それは、今も続く技術的な思想の系譜であり、今に至る科学技術の基調と言えなくもありません。 即ちこの50年は集積と小型化の時代であり、そ れらは制御系技術を背景に「無駄を無くす、百発百中の」ことを行うことで、より安く、高性能を目指してきたと言ってもいいでしょう。
 

ゲームでの応用
 そこで、今のゲームの世界を見てみると、未だこの集積と小型化の波が押し寄せてはいません。いまだ大艦巨砲主義全盛なのです。
 その上PS2というさらに大艦巨砲主義的なハードがあらわれたときています。

 過去大和・武蔵を作った日本帝国は、財政難で破綻しました。はっきり言ってしまえば、作った時点で負けが確定していたと言っても過言ではありません。
(中国で陸軍が無分別に戦線を拡大させていったのとあわせて理解してください)

この現状につきあえば、ゲーム業界もかの帝国と同じことになるでしょう。
 現在は端から正面決戦を諦めて、小型ゲームを用意し、ケチな戦いをしている処もありますが、元々、大艦巨砲主義的な世界で大艦巨砲主義的な技術を用いて作られるゲームですから、これではコストに対して戦果が非常に低く、とても割に合わないというのが現状です。
(数うちゃあたる世界で、大砲一門だけ乗せた船を作っても、確かに安く上がるが、存在意義がないというわけです)

 この現状に対して、アルファ・システムの技術陣は、新しい制御系技術による小型化・集積化が出来ないかと考えました。

 論点はこうです。

○たくさんのマップやアイテムを使わなくても、面白いゲームは作れる。
○たくさんのキャラクターを使わなくても、面白いゲームは作れる。
○百枚の平凡なグラフィックは、一枚の名画に劣る。
○これらを実行する上で問題なのは、これらデータを制御する制御系技術である。

 ゲームには、その設計思想上、始祖や血縁関係、系統が存在します。
ドラクエやFFはRPGというウィザードリィやウルティマに端を発する血族関係の、子孫に当たります。
 ほとんどのゲームは、これら血縁関係で成立します。(ジャンルとも言います)

 まったく血縁関係を無視して出現するゲームも、PS登場後頃からちらほら出現してますが、それを一番強力に行っていたSCEの売り上げ情 報を見ていく限り、これらは業界全体の売り上げに大きく貢献していませんし、ほんの一部を除けば、血縁を残さず、地上から消え去っています。つまり、生存 競争に敗れているわけです。

 ゲームにおける血縁関係とは、要するにゲームの制御系のことです。データによってゲームの血縁関係が決まるのではありません。それらデータをどう制御するのかで血縁関係が決まります。ジャンル=制御方式と言えるでしょう。

 データが3Dになったり、ハードが変ったりしても、この基本的な制御部分は古くから違いがありません。極端な話、既存のゲームに限界が来ているのは、この制御方式の古いものをいつまでも使いつづけているからです。
 今迄色々なオプション装備やデータ量で巨大化・装飾化することでユーザーニーズに対処してきたが、これも極まってついに限界に達したと見るべきでしょう。

 この意味で新たな制御系技術の確立が技術的に必須の課題とされ、アルファ・システムでは技術開発レースがスタートしました。
基幹系技術開発4チルドレンの一つカレル−プロジェクト、1995年のことです。
 

○新しい制御系とは?
 極端な話、新しい制御系というものは、少量のデータを高度に運用することにつきます。少ないキャラクター。少ないマップ、少ないアイテムで、長いこと楽しく遊ぶジャンルを作ろうということですね。

これは発想の転換というものです。一つの制御系にたくさんのデータではなく、少ないデータに沢山の制御系でも、ゲーム上の戦略性の高さ、つまり組み合わせ順列は変らないというわけですね。

ちょっと失礼して算数的に言うと、こういうことです。

 ゲームシステムプログラムは一単位作るのに3人月かかる。
 データ(絵やシナリオ)は、一単位作るのに1人月かかる。
(人月というのは手間の単位です。一人の人間が一月働くことを1人月と言います。3人月だったら、一人が三ヶ月か、三人が一ヶ月働く分の仕事と言う訳)

 ゲーム上での多彩さ=戦略性はゲームシステム×データの数で決まるから…
データを増やすより、ゲームシステムプログラムを増やす。つまり、同じデータを使って色々なジャンルのゲームを動かすほうが楽を出来るという理屈です。
 ちょっと数式風に書いてみると

ゲームの多彩さ(戦略性)
(今迄のゲーム)ゲームシステム1単位×データ50単位=50
(新しいゲーム)ゲームシステム10単位×データ5単位=50

戦略性は同じでも…
手間
(今迄のゲーム)ゲームシステム3人月+データ50人月=53人月
(新しいゲーム)ゲームシステム30人月+データ5人月=35人月

で、圧倒的に新しいゲームの方が楽に同じ程度ゲームを作れるという理屈です。
 

(本当はここに至るまでに論理学と哲学上の大冒険があったのですが、まだ学生である皆さんには退屈な内容なので割愛します。ここでは、なん だ、思ったより勉強って簡単じゃんと、思ってください。大丈夫、どこぞの有名大学の教授も、あなた方と同じ、ただの人間ですから、あなた方ががんばって、 同程度のことが出来ないわけがないのです。凄そうなのは見かけだけです。)
 

さて、それでは具体的にはどうやればそんなことが出来るだろう。
みんなが悩んでいたときに、当時、アルファに在籍していた、たぶんこの世界最高のゲーム技術者が、一つの解答を鮮やかに(?)出してみせました。

「分かった。少ないキャラクター。少ないマップ、少ないアイテムで、色々なゲームジャンルがプレイできる万能性の高いゲームをつくればいいぞ。」

要するに同じマップとキャラクターでRPGと戦闘SLGと恋愛SLGとアドベンチャーゲームとバイオハザードと、その他なんだよく分からないものが遊べればいいだけだな、えっへんという奴です。
 普通、こういう意見はバカと世間一般では言うのですが、往々にして常識で解けない問題は非常識が解くものです。この点、真正バカとゲームバカ (天才技術者とも言う)はまったく同じです。違うのはゲームバカは人を納得させるだけの理論展開能力があるというところだけですね。

 それはともかく、まったく新しい何かを作るより、今迄あった色々なゲームをまぜまぜしていく方が、部品レベルではお手本もあることだし簡単なことであるのは間違いありません。
 実際にこの問題に突き当たっていた95年当時は、まったく新しいゲームを作る技術も、これを企画して本制作に入るだけの政治力、説得力もアルファはもっていませんでしたから、この解決方法は妥当なものとも言えるものでした。

 そこで、まぜまぜゲームを作ることになったのです。
 

○やっとAIの話
 AI。人工知能というものは、このカレル・プロジェクトから生まれてきた産物です。
 まぜまぜゲームを作るのはいいけど、ゲームシステム的にどう統一させ、同じ操作系(インターフェイスといいます)に落とし込むかが、当時の一大問題でした。

これを統一、可能な限りの同一操作性を持たせるために開発された企画技術が、”ヒューマン・シミュレーション”および”コンピューターによるこの制御系”つまりAIです。

 難しくないように、当時の理論展開を順に説明していきましょう。

1.まぜまぜゲームを作るのはいいが、これを一つのゲームと認識させるのが問題だ。
2.一つのゲームと認識させるためには、操作系と画面表示系、扱う数値などが、全て同一レベルになければならない。(これを同一レイヤーという。)
 *画面ごとに操作系や表示情報、扱う数値がかわるようでは、一つのパッケージの中に複数のゲームが入っているだけになる。
3.同一レイヤーで同一データで、色々な制御をするには、今のバラバラのジャンルのゲームを”ある共通項”を突破口に連動、連結させる必要がある。
4.ある共通項とは、ひとつしかない。つまり、人間である。どんなゲームでもその中心には、人間がいる。
5.人間のデータモデリングと、これの制御方式を突破口に、新しいゲームの開発は出来る、またこの方式であれば、旧来と大差ない操作系と、ゲーム展開を期待できる。 つまり、今の技術の延長線上としてユーザーはこれを捉えて遊べる。
 (延長線上にないと、ユーザーはこれを簡単に扱うことが出来ない。)
6.人間のデータモデリングと、この人間の行動様式という形に操作系、データ形式を統一させる。これで命題(新型制御系の開発)は完成する。
7.問題なのは人間のデータモデリングと、人間の行動様式というフォーマットに、プレイヤーが操作しない人間(NPC)を適合させる必要があることである。
 これを怠ってプレイヤーと非プレイヤーが同一レイヤーにない場合、つまりプレイヤーだけが特殊な場合、このゲームの前提が破綻する。つまり、人間らしくなくなる。よってどうしても同一レイヤー上にプレイヤーとコンピューターを並べる必要がある。
8.プレイヤーに近いレベルでコンピューター上の人間を制御する思考システムを開発する必要がある。これをAIと呼ぶ。
9.よってAIの開発が新しいゲームの命運を決する。

AIはこうした要請から研究開発がはじまったのです。
 

○知能境界線(人工知能臨界点問題)上の冒険
 AI、AIといいますが、それが一体なんであって、そもそも知能とはなんぞやの定義自体も怪しいというのが当時の実体でした。
 だから、当時のアルファ・システムはAI(人工知能)の定義を調べることからはじまったのです。よければ今研究されているAIをゲームに利用できないかなとも思っていました。

 そこで調査した結果は、かなり悲惨でした。世界レベルで見て、AIの定義は明確でなく、まともな実用AIは一つもなく、しかもそれが現行のハード内の制限におさまる可能性はまったく皆無でした。
 手紙を送ったアメリカのいくつかの大学の研究室からは、30年待った方がいいという返事が来たほどです。

 だから、アルファ・システムは、独自でこの問題を解決することにしました。
幸いアルファ・システムには社長以下技術屋が揃っていたのです。
 その胸に希望があれば、チャレンジする心があれば、人は月にだっていけます。
そしてことゲームに関する限り、努力するゲームバカに出来ないことは何もないのです。

 アルファ・システムはまず、AIについて、そして知能について考察し、結論を出しました。以下に紹介します。

A.人工知能とは、コンピューター上で知能を持つと認識されるものを持った存在である。
B.知能とは、知能である。コンピューターで一般に出来る論理演算とは似てまったく異なるものと言える。知能の中に論理演算は含まれるが、論理演算の中に知能は含まれない。
C.ただし、知能は論理演算で構成されているのは間違いない。人間の脳、人間というシステム自体は、これすべて既知の物質、既知の化学変化、既知の生理反応で動いており、これら全ては論理演算で代用することが可能だからである。
D.ここで微分を習っている人はお分かりの通り、知能と論理演算には、おそらく臨界点が存在する。これを知能境界線(知能臨界点)と呼ぶ。
E.おそらく論理演算が一定量越えた段階で、人間の心(知能)は出現する。これが知能境界線である。具体的にはPS上で、この境界線を越えるだけの論理演算を完成させればPSの上に人の心を出現させることが出来る。

問題は、知能境界線を突破させるだけの計算を限られたスペックでどうおこなうかでした。
 さらに問題になるのは、どこまでが人間で、どこからが非人間かという線引き。
人間のどれだけの部分を機械に取り替えれば、それは人間でなくなるかというゴースト問題の突破です。
 これらの問題は人間科学、哲学、精神医学、数学、プログラムに渡る問題であり、今までで最大の問題でした。

この問題を突破できたのは、チームワークです。
 アルファ・システムのもう一つの側面として、能力さえあれば過去は一切問わない社員経歴の多彩さがあげられます。
 先代の芝村は義手義足の研究家であり、遅れて来た私はAI専攻の院生、以下、ポケベルのプログラムを作っていた人間、絵描き、ロッカー、ギャン ブラー、ディーラー、商社マン、医者、ゲームが好きだと言う以外では共通性のない人間がそれぞれの経歴を持って集まっていました。
 単なる烏合の衆と言えなくもありませんが、逆に言えば、複合問題の解決に関して、これ以上ないという多角的なアプローチが出来ました。

 余談になりますが、アルファ・システムが新しいタイプの社員を積極的な獲得に入り始めたのはこの問題をみんなの力で解決できてからです。
 指揮命令系統がしっかりしていて、明確な目的と思想があり、士気が高ければ、同好の士(相性の良いユニット)ばかりが集められていなくても、実 戦上マイナスにはなりえないということが判明したからです。それどころか、協力を開始した烏合の衆が目覚しい働きをする時がありうることを、成果でもって 実感したからです。
 

 さて、話を戻しましょう。主に思考実験と数理哲学、論理学上の計算によって、知能臨界点突破のために求められた結果は以下の通りになりました。

A.知能境界は個体内では生成されえない。
 なぜなら、自他から認知されない限り、そこに知能があるとは認知されないからである。よって、知能境界はその個体(人間やコンピューター)だけではなく、周囲の個体や存在を内包しなければ生成されえない。

//この時点で旧来の人工知能研究は全て否定される。既存の人工知能モデルは全て1個体のシミュレーションモデルだからである。

B.よって知能境界を生成するためには最低でも単位系内に二個体が存在する必要がある。
 すなわち社会単位のシミュレーションが出来ない限り人工知能は成立しない。

C.上記条件成立後は、後は、処理の数だけが問題である。可能な限り、思い付く限り、社会で起こりうることをゲームに詰め込めば、どこかの 段階で人の心が出現する。おそらく、(主婦や幼稚園の先生だった社員の意見より)それらはPSのハードスペック限界内で成立する。園児や赤ちゃんはPSよ り、あんまり頭はよくないけど、人間だものというのがその論拠である。

以上のことより、これらを実行に移せばAIは完成する、というわけです。
それは今までの概念とかけ離れたAIシステム=ゲームシステム。
 奇しくもそれまでの論理展開経緯とAI条件がきっちり重なったことで、最小パーツ数による構成が可能であるという自信も涌きました。

 我々はそれに、我々の友情と希望を持ってゲームシステムに”超えるもの達”と名づけました。いつか、これを超える人々が現われて、もっと 楽しいゲームを作ってくれるだろうという願いをこめて、また自分達もこれを超えてやろうと気概を込めて、バージョン番号は未完成の意味の1未満にしてみま した。

 これが、発売からいままで沢山のライターに語られながら、誰もうまく説明できない、良く訳の分からない強力なゲームシステム。
”ガンパレード・マーチ”の正体、カレル2といわれる新型の”企画技術”です。

 これを読まれた皆さんが、ここに書かれた論拠と条件に適合するようにゲームパーツを作っていって組み上げていけば、カレル2自体の再現、建造は可能です。
(細かい部分の技術にも秘訣はないわけでもありませんが、それは専門的に過ぎるので今回は割愛します。ゲームの肝である基礎的なゲームメカニズム が、答えさえきけばこの程度の簡単なものであることを理解してください。がんばれば、学生のみなさんだって同じ物を作れるはずです。)

さて、これでデモンストレーションは終了です。
どうでしたか。
そんなに難しくないな、俺もやってみようかなと思っていただけたら、文章を練ってなるべく平易な言葉に直した甲斐もあるというものです。
 大丈夫、哲学も論理学も数学も、本質は推理力の問題です。
そして推理は、普段から誰だってやっています。すこしだけ、面倒くさがらずに飽きずにせっせとやれば、大学の博士号の一つや二つ、学位の一ダースくらいは楽勝で取れる程度の学力はつきます。暗記が必要な学問はさすがに難しいですが。
 暗記が嫌なら、アメリカの実戦的な大学に行く選択もあります。不必要なことは覚えなくても良くなります。

 ゲーム業界のトップデザイナー達、本当に数が少ないながら、自力でゲームメカニズムを設計できる人々は、きちんとした学歴こそないもの の、レベルが低い、努力することを放棄した大学教授連中より、よほど知識と推理力で勝っています。でも、それは例外中の例外。そんな人達をさしてだから勉 強はいらないと言うのではなくて、夢をかなえる自分の手段を増やす為に、勉強してください。
 いくらレベルが低下したとは言え、日本の教育システムが崩壊したわけではありませんし、これに替わる、これ以上の教育システムを日本が持ってい るわけではありません。学歴不要などと言う言葉は、負け惜しみか、さもなくば勉強を自力で片づけるだけの天から愛された才覚を持つ、絶対に真似の出来ない 選ばれた人間の残酷な言葉なのです。
 現実をみつめて戦ってください。みんなで、夢の世界にいくために。
 

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