1.ゲームデザインにおける学術の意味


 今後のゲームデザイナーは、高い知能と、深くて広範な知識が必要になります。
それは、なぜかといえば、現在のゲームデザイン手法や能力では限界が来ているからです。

 これを、構造限界と言います。手詰まりと言っても、差し支えありません。

2001年現在のゲーム業界は、売り上げの低下とお客様であるユーザーの不信にあえいでいます。

 なぜそうなのか?
 「ゲームなんて、つまらないじゃん。」
小学生を代表にしたこうした意見が、多いからです。
 面白くないものに、お金を出す人はいません。
でも、この現状を打開することは、今の所、どこも出来ていません。手詰まりです。
そもそも、これらの意見を未然に封じることが出来ない時点で、現状では解決能力がないと言ってもいいでしょう。

現在、各ゲーム開発会社や、ゲームデザイナーが保有している手段では、この手詰まり、つまり構造限界を突破できません。

 構造限界を突破するには、構造を作りかえるしかありません。
今のゲームを作り出す構造(仕組み)を変える。手詰まりのときは、別の手(手段)をもって来る。分かりやすい話ですが、今必要なのは、それです。

 そのために必要なのは、前項をご覧になった方はお分かりでしょう。勉強です。
いままで出来なかったことをやるためには、手段の導入が必要です。
 現在の構造に限界があるなら、新たな何かを加えて構造を作り変える必要があります。
 そして手段の拡大の最も早い方法は、勉強です。新しい知識、新たな運用概念、これらを勉強以外で手に入れることは、非常に困難です。

 以上において、現状のゲームデザインにおいては、勉強、難しい言葉で学術が必要になります。

 もちろん、勘や占いや超能力、あるいはでたらめにゲームを作っていって、それがうまく事態を打開するまで待つことも出来ますが、何分ゲームを作るにはたくさんのお金がかかることですから、お金を出すほうとしては、勘や占いより、もっとしっかりしたものが欲しいものです。
 これを、理論保障と言います。 今後、ゲームが高度化すればするほど、沢山お金がかかるようになりますから、(お金を出すほうの当然の心理として)理論保障が必要になります。

 理論保障をおこなうには、理論展開、理論立証という二つの能力が必要になります。
このいずれも、今のゲームデザイナーには足りませんし、残念ですが高校卒業程度の学力では、とても手におえなくなっています。
 だから、今後は高度な教育やそれに匹敵する独学をおこなった人間が、自然のなりゆきで重要な役割をしめることになります。

 もちろん、映画監督や小説家のように、個人の能力や才覚だけで、学力関係なしでゲームを作れないわけではありません。ただし、先ほどの話にある通り、これらには、勘や占いにどれだけお金を出せるかという問題がつきまといます。
 今迄のそんな方法でやってきて、うまく行ってない時には、なおさらです。

いつかはまた、個人の才能の時代が戻ってくるかも知れませんが、それは今と近未来ではありません。時代はいつも、動いているのです。

単純な確率問題としてこの問題を見た場合、一人のゲームデザイナーが年に手がけるゲームの数は現状、一本にも足りません。この少ないチャンスで、構造限界突破を個人レベルで図る場合、勘に頼ることは非常に難しくなります。
 プロの場合、失敗はそのまま生活苦を意味しますから、手数が多い(納期が短い)携帯ゲーム機の企画や、小規模ゲーム以外のコンシューマーゲーム機の分野では、これも自然のなりゆきとして、理論保障の必然性が高まっていきます。
 

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