「Matter」
「っと・・ふー、やっと終わった」 私、桂木弥生は浮気調査報告書を置く。そして時計に目をやる。時計は午前2時を 指していた。 「また午前様か、忙しいことはいいことだがこうも続くと考え物だな」 今日は浮気調査の報告を三つも仕上げたためこんな時間までかかってしまったの だ。 簡単に浮気調査と言うが事はそう簡単ではない。良く漫画で一日で終わるといって いるがとんでもないことだ。それに報告書の質は探偵事務所にとって生命線にすらな りうる重要なことで、これがしっかりしていないといくら捜査能力が一流でも駄目な のだ。 浮気は離婚へ、離婚は訴訟へと発展しいていくため、私たちの報告書は立派な証拠 になる。何回も尾行し、何度も関係があることを確かめる。これで裁判で「出来心 だった」との供述が出来なくなるのだ。 それが一気に三つも舞い込んで来てしまったためこんな遅くまでかかってしまっ たのだ。 私は煙草を取り出し一息つく。 「ふぅぅーーーーーーー、仕事の後の一服は最高だな」 ![]() そして一本吸い終わると荷物をまとめ事務所内の安全のチェックをした後、鍵を閉 め外に出た。 「寒いな・・」 冬の冷たい風が私の頬を刺激する。思わず私は身震いしてしまう。今まで暖かい事 務所にいたのでよけいに寒く感じてしまうのだ。 今は二月、一番寒い時期だ。 「えーーーーーーん」 「?」 私はあたりを見渡す。今確か子供の泣き声がしたような。 「・・・・」 私は耳を澄ます。 「えーーーん」 確かに聞こえる。私は時計を見る。もう午前2時半だ。子供が出歩くような時間で はない。どうしたんだろう。少なくともただごとではない。 私は声のした方向に行ってみる。 私の事務所の入り口の前の通りから曲がってすぐそば。つまり事務所の横にその子 は座っていた。 ビルに寄りかかり体育座りで泣きべそをかいている。年は12ぐらいだろうか。し かしその容姿は12には見えずもっと幼く見えた。 私はその子に近寄る。そのとき、私の鼻につんとした臭いが刺激する。よく見ると そのこの体は薄汚れており服ももう何週間も変えていない様子だ。ますます私は不思 議に思う。日本でこんな格好をしている子供なんているのか? 「ねえ僕」 私が声をかけて初めてその子は泣きやみ私の顔をじっと見る。 「どうしたんだ?こんな夜遅くに、パパとママはどうしたんだ?」 私の問いにその子はうつむく。そして絞り出すような声を出す。 「・・・・・いない・・とうさん・・・かあさん・・いない」 「?」 私はこのときこの子の言葉にちょっとした違和感を覚えた。そう、日本語のアクセ ントがちょっと変なのだ。例えるならば外国人が日本語を喋っているような・・・・ ・外国人? 「ねえ僕、名前はなんて言うの?」 「・・・・・・・・張・・・・張・栄光」 「ちゃん・よんがん?」 こくりと頷く張。やはり中国人だったか、いや、中国と断定してはまずいな、おそ らく韓国、台湾、朝鮮、中国のどこからだろう。私はそこら辺の名前の違うというの はよく分からないのでそこら辺にしか絞れなかった。 しかし・・・・この格好から見てまず観光客とは考えにくい、おそらく不法入国 者。今問題になっている中国マフィア蛇頭関係か? 「・・・・」 私はどうするか迷う。無論このまま警察に任せるのが一番良いと分かっているのだ が、確かテレビで見たのだが蛇頭に不法入国を依頼するには莫大な金がかかり、入国 者のほとんどが借金するという形で入国しているという。 そしてその借金は売春や麻薬関連で稼いでいるそうだ。つまり犯罪が犯罪を呼んで しまっている結果になってしまっているという。さらに日本国籍目的での結婚詐欺がありこれもまた問題になって いるという。 日本国籍を一回持ってしまえば強制送還することは難しくなる。つまり例えるなら 私を不法入国者として扱うことと同義なのだから。 しかしこのまま返せば・・蛇頭に何をされるか分かった物ではない。小さな子供と は言え容赦はしないだろう。下手をすれば児童売春などをさせるかもしれない。こん な子供が・・・私は今自分で考えたことにぞっとしてしまう。 しかしこのままにしておく訳にもいかない。・・しょうがない 「張くん、私の家にこないか?腹が減っているんだろ?ごちそうしてあげるよ」 「ばぐばぐばぐばぐもぐもぐもぐもぐ」 ものすごい勢いで食べる張君。よほど腹が減っていたのだろう。そういえば密入国 船というのはこれ以上ないほど劣悪な環境らしく倉庫にすしづめ状態でいれられると いう。飯はほとんど与えられず船の中に餓死者がいると言うことも聞いたことがあ る。 この子どもの体力で良く持った物だ。 しかしここから先が問題だ。この子をかくまっている時点で私は犯罪を犯してい る。どうしよう・・・どうしたら 「あ!」 私は思わず声を上げてしまう。張君はその声に私を見るがすぐに食べ始めた。 そうだそうだ、うっかり忘れていた。いるじゃないか、私の親友にそういうことを 専門的に扱っている奴が。あいつは頼りになる。 そう思うと私は急いで電話をかける。 「もしもし!まりなか!!」 「うーーーーーーーーーーーーん」 眉間を抑えてため息をつく一人の女性。私の親友法条まりなだ。内閣調査室という 特殊機関のエージェントをしている。しかし今は主件を気に現役を引退しエージェン トを育てる教官職を勤めていると聞いた。 「どうだまりな?なんとかなるか?」 張君はご飯を食べ終わり不安そうな顔でまりなを見ている。自分がどうなるかわか らないのだろう。 まりなは顔を上げ、私の顔を見た。 「ごめん弥生・・・・・・この子はどうすることもできないわ」 「そ、そんな!!お前の力でどうにかならないのか!?」 「駄目よ、私はキャリアだけど・・・その件に関しての権力は全然持っていないの」 「じゃ、じゃあ、ほら、あの何だっけ・・・本部長だ!!まりなに理解のある切れ者 の上司、その人に」 まりなは静かに首をふる。 「なんでだまりな!?あんまりじゃないか!」 「・・・この子の問題は・・・・・あまりにも大きいことなの、この子をかくまえば 弥生、あなたに責任がかかるし、刑務所に送られるわ、それに国という物がある以上 どうしようもないの、内調もこの問題は慎重に対応しているわ、本部長どころか、内 閣総理大臣でも無理よ」 「彼は日本国籍を持っていない不法入国者、それだけで強制送還される」 私はうつむく。 「じゃ・・じゃあ・・・・・この子は帰ったらどうなるんだ?」 「分からないわ」 「なんで・・・」 「その国の問題だから・・下手すると内政干渉になる」 「・・・・」 「・・・やよい・・」 そのとき、私の肩をぽんとたたかれた。 張君が私の顔をじっと見る。 「やよい・・・ありがとう・・・・うれしい」 「・・・・」 私は何ともやりきれない気持ちになる。ちゃんとお礼が言える。この子はいい子 だ。こういうところに国籍など関係ないのだ。 「そういえば張君、日本語しゃべれるの?」 まりなは張君に尋ねる。 「すこしだけ・・・とうさんかあさん・・れんしゅうしているの、おぼえた」 張君は笑う。 私に笑いかける。 普通の子供の・・・かわいい笑顔だった。 三日後・・・・・・ 張君は中国に送還されたとまりなから聞いた。 最後まで彼は私によろしくといっていたという。 中国に帰り自分がどうなるかも分からないのに 私のことを思っていたのだ・・・ 国・・・・・・日本 日本は世界に例のない有色人種でありながら経済大国を名乗り 非常に豊かな生活を送れている 私自身食べるのに困ったことなどない。 しかし隣では張君のような子供はたくさんいるのだ。 ほんの少しの距離・・・ 国が違うだけで生まれるこの差 私は自分の望む服を着て、自分の望む職業を勤め、自分の望む食料を食べることが 出来る。 私は恵まれている・・ 今日ほどこれを思ったことはなかった。 私は天を仰いだ。 「ふぅーーーーーー」 私は煙を吐く。仕事が終わったので一息ついている所だ。 今はただ何となく生きている人間が大勢いる、豊かさがもたらした皮肉な結果。 少なくとも彼は生きると言うことに忠実だったような気がする。 じゃあ私は・・・・ 今の探偵稼業で日々生活を送り・・・・生きている・・・ 私は生きていることに忠実だ。 多少悩んだりするが・・・・・それでも 私は外へ出た。外は雨が降っている。雨の音が悩みを消してくれた。 |