「EVE」 -before the story-

天城小次郎・・・高校生。事故を装って殺された両親の復讐を行う。
天城父親 ・・・小次郎の良き理解者であり、頼もしい父親。
天城母親 ・・・少し神経質なところはあるが、優しい母親。
桂木源三郎・・・桂木探偵事務所所長。元エルディアの諜報部員。
桂木弥生 ・・・高校生。源三郎の娘。
時村遼二 ・・・「組織」の幹部。天城夫妻殺害の実行犯。
黒瀬晴信 ・・・「組織」のボス。政界の大物。
岩村良作 ・・・通称「ガンさん」の通り名を持つベテラン刑事。
新城直子 ・・・岩村の同僚で検死オタク。趣味が検死と言い張る変わり者。


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 一般的な朝の風景。
 母親はキッチンで料理を作り、父親は新聞を広げている。
 ありきたりな風景も、大切な時間である。
「小次郎、学校はどうだ?」
 父親がふいに聞いてきた。
「うん、まあまあかな」
 何とも言い様が無かったので、曖昧に答える。
「そうか・・・」
 会話が途切れる。これは天城家では慣例となっている会話である。
 小次郎の父親と母親は、職場結婚という事でいつも一緒にいる。
 その為か夫婦間での会話はほとんど無いのだが、お互いを分かり合っているという感じがする。なんとなくいいなあと思う。
 両親は、仕事の関係上家を空ける事が多い。二人がどんな仕事をしているのか、小次郎は知らないが、家に一人でいる時間が彼を不安にさせる。
 昨日今日と両親が久しぶりに帰ってきており、ほっとした気分になっている自分に気づいている。
「小次郎、いま何年生だ?」
「2年だけど」
 いつもには無い質問に不意をつかれながらも答えた。
「そうか、お前もそろそろ進路を決める頃だな」
「なんだよ急に・・・」
 キッチンから母親が料理を持ってきた。
「今度大きな仕事があるんだが、それが終われば暫くは家に居られると思う」
「ホントに?」
「ああ。そしたら小次郎に大人の付き合いを教えてやるぞ」
   最後の方は声を低くして言った。
「あなた、小次郎に変なことを教えないでくださいよ」
 耳の良い母親はすばやくチェックを入れる。
「わかってるよ・・・」
 と言いながら小次郎に目配せをしてみせた。
「早く終わるといいな、その仕事」
「出来るだけ早く終わらせるよ。それまでもう少し我慢してくれよ、小次郎」
「わかってるよ」
 久しぶりの朝食の味は母親の温かさを感じることができた。
 時間はすでに8時を回っている。
「小次郎、早くしないと遅れるわよ」
 ぎりぎりの時間になっている。
「ほら小次郎、母さんが呼んでるぞ」 「父さんともう少し話したいんだけど・・・」
「嬉しいことを言うじゃないか。この仕事が終わったらたっぷりと話をしよう」
 父の笑顔を久しぶりに見た。
「小次郎、早くしなさい」
「わかってるよ!じゃあ父さん行ってくるよ」
「行ってこい、気をつけてな」
 空の鞄を持って玄関に向かう。
 母親は見送りの準備をしている。これもここ数年の天城家の慣例となっている。
「小次郎、いってらっしゃい」
 母さんに見送られるのにも今では慣れた。
「母さん・・・」
 言い知れぬ不安に気づかなかったのだが、なぜか母さんの顔をもっと良く見ておかなければいけない気がした。
「なに?」
 息子に見つめられて照れているらしい。
「・・・いってきます!」
「いってらっしゃい」
 不安を隠すように声を張って家を出た。母親は息子の姿が見えなくなるまで見送った。


   ◆

 一ヵ月後・・・。
 ピーンポーン、ピーンポーン。
 天城家のチャイムが鳴らされる。
「はいはい、今出るから待てよ」
 朝食のパンをくわえながら玄関先に出る。
 ガチャ。
 鍵を開けて玄関を開くと、スーツ姿の中年のおっさんが立っていた。
「何か?」
 不審に思ったので、ドアチェーンをはずしていない。
「天城小次郎君だね」
 おっさんは高圧的な言葉で問いただしたので、少しカチンときた。
「そうですけど」
「俺は県警本部の岩村と言う」
   警察手帳を出し、中を開けて見せた。刑事ドラマの様に・・・。
「県警・・・警察の人?」
「そうだ」
 警察が何の用だろう。
「それで、岩村さんは何の用なんですか?」
「まずは開けてくれ、話しにくい」
 ドアチェーン分しか開いていない事を言っている。
 手帳も本物そうだし、疑う理由もないでのドアチェーンをはずして開けた。
「早速だが、君には残念な知らせがある」
「なんでしょうか?」
「君の両親、つまり天城夫妻が今朝交通事故で亡くなった」
「えっ!」
 この人は何を言っているのだろう。
「いきなりで信じられないと思うが、そういう事だ」
 淡々と喋っている。
「なにがそういう事だ、馬鹿げてるじゃないか。いきなり警察が来て両親が死んだなんて信じると思ってんの?人をからかって何が面白いんだ!」
 言い放った。
「ふう、事故に遭った家族はまず否定するもんだ。だが、事実を目の前に出されれば認めるしかない。今から来てもらおう」
「どこに行くんですか?僕は学校があるんですけど」
「学校には連絡しておいてやろう。今はこっちが先だ」
 岩村さんは、踵を返して表のパトカーに乗り込む。
 朝の出勤時間なので、人だかりが出来ていた。
 意を決めて岩村さんの後に続いてパトカーに乗った。勿論玄関は閉めておく。
 パトカーの中では二人とも一言も口をきかなかった。
 暫くして、パトカーが到着したのは、警察病院だった。
 岩村さんの後をついて、霊安室に入る。
「これだ」
 霊安室に置かれている二つの遺体には白い布が被せられている。
 心臓が今にも破裂しそうなほど動悸している。
「一応、家族の確認をしてもらう」
   声は狭い室内に冷たく響く。震える手で顔の布を取り上げる。
「!」
 そこには、白くなった父さんの顔がある。死者は血の巡りがなくなるために血色が悪くなる。その為に死化粧を施すので白くなっているのだ。
 隣の遺体の布を取り上げる。
「母さん・・・」
 声が震えて視界がぼやける。目から熱い思いが流れ出て止まらない。
「う、うぅ・・・」
 言葉にならない思いが胸を焦がす。
「父さん、母さん・・・うぅ・・・」
 感情が溢れて止まらない。その場に泣き崩れた・・・。


   ◆

 岩村は霊安室からでた。結果は聞くまでもなく、少年の涙だけで十分だった。
「岩村さん、どうでした?」
 同僚の刑事が来た。
「ああ、今家族の確認をとった。天城夫妻だ」
「そうですか・・・」
 霊安室から少年の嗚咽が漏れてくる。
「可愛そうに・・・」
 同僚の刑事がため息をこぼす。
「そうだな・・・」
 岩村もかつて家族を失った事があるので、少年の気持ちは痛いほどわかった。
「それより、検死報告は?」
「はい、それが妙でして」
「何が妙なんだ」
「はい。運転手と思われる夫の方にアルコール反応が出ていたのですが、それと共に微量ですが睡眠薬の使用反応が出たそうです」
「睡眠薬?」
「多分、アルコールの中に入れられたと考えられますが、これも判断つきにくく・・・」
「どういう事だ」
「検死官の報告ではアルコール反応のみなのですが、新城さんがかってに検死したそうで」
「新城が・・・そうかわかった。俺は少年を送って署に戻る。課長にはこんな役目ばかり押し付けるなと言っといてくれ」
「・・・わかりました。失礼します」
 同僚の刑事はすぐに戻っていった。
 岩村はイスに腰掛けて考え込んだ。
 どうも今回の件は臭う。刑事の勘という奴だ。今までこの勘を頼りにしてきた。
 その勘が警告しているのだ、ただの事故死ではないことを。また危険の警告も感じている。この件はやばい。
「どうするかな・・・」
   さらに深く考え込んでしまった。この件から手を引くべきだろうか・・・。


   ◆

 天城家の葬儀はまこと密やかに行われた。
 両親の身内も無く、小次郎が喪主となり近所の人の手伝いで葬儀が行われた。
 学校の先生や同級生などが来てくれた。
 両親の知り合いも特におらず、なんとも寂しい葬儀となった。
   それでも小次郎は何とも思わなかった。自分のやるべきことを見つけていたのだ。
 葬儀も終わり、二人の遺骨をお寺に預けるとその足で学校に退学届を出した。
 理由は、保護者不在により生活の保障ができず、通うことが出来ないというものだった。
 日本では義務教育として中学校までとしており、高校は義務にはなっていない。
 それでも彼を心配している(様に見える)先生は彼の残留を求めたが、きっぱりと断った。
 家に帰ると、家財道具一式を売り払いお金を工面した。
 さらに、土地と家をも売り払ってしまった。
 小次郎のやるべき事、それは“復讐”だった。
 小次郎は、偶然岩村と刑事の会話を聞いてしまったのだ。
「父さんと母さんは殺されたかもしれない・・・」
   許すわけにはいかなかった。自分の命に代えても仇はとる。そう決めたのだ。
 小次郎はまず家の中を片っ端から調べて、両親の事をなんでもいいから知ろうと思った。
 その結果、仕事に関する情報だけが全く欠落していることに気が付いた。
 どんな家庭でも、両親の仕事に関する情報は転がっているはずである。
 簡単に言えば名刺などが良い例である。
 小次郎の両親は自分たちの仕事の情報を徹底的に消していた。どうやら家を出る前にあらゆる証拠を消して行った感じがした。
   さらに探していると、母さんの鏡の裏にフロッピーディスクが手紙と共に挟まっていた。
 手紙の内容はこうである。



 小次郎へ
  あなたがこれを読む頃には私たちはきっともう居ないと思います。
いつかこんな日がくると思っていた。
あの人が小次郎に迷惑がかからないようにって、私たちの情報は全てを燃やして しまいました。
あの人は、小次郎はきっと復讐を考えるだろうって言ってました。
だけど、私はあなたに最後の言葉を送りたくてFDを残しました。
これは、私たちの仕事の事が記録されています。
もしあなたが危険な目に遭ったらすぐに捨てるか、警察にもっていってください。
そして小次郎には普通に生活して欲しい。
我侭なお願いだとわかっています。
小次郎、父さんも母さんもあなたの事が大好きよ。


この手紙が小次郎に読まれる事がない様に願って・・・。
母より“


「母さん・・・」
 手紙の日付は、最後に会った日になっていた。
 多分、母さんは父さんに黙ってこれを書いて残したのだろう。
 手紙を読み終わった後図書館に行き備え付けのパソコンで中身を読み出した。
 そこには、両親が働いていた会社の事・その会社での仕事の事・仕事に関係する“組織”の事が書かれていた。
「この“組織”ってなんの事だろう・・・」
 両親が何か危ない事に関わっていたことは分かったのだが、内容の半分も理解できなかった。
 とりあえず、両親の働いていた会社から当たってみよう。
 資金は十分に用意した。
 これからの為にサバイバルツールと、拳銃を手に入れた。
 拳銃は裏ルートからの流し品で、弾も何発か買った。
 これで準備完了。
 あとは、両親の仇を探して殺すだけだ。
 悲壮な決意を秘めて小次郎は闇に足を踏み入れた。


   ◆

「小次郎、小次郎!」
   近くで呼び声が聞こえる。
「小次郎、小次郎ってば!」
 さらに耳元で聞こえる。
「う~ん」
 頭の中がボーっとしており、はっきりとしない。
「ほら、早く起きろ。パパが呼んでるぞ!」
 目を開けると、昨日と同じ光景が見える。
 昨日は徹夜で張り込みをしており、戻るなり事務所で眠ってしまったらしい。
 寝ていたソファーは今や俺の場所である。
 桂木探偵事務所。
 これが今の俺の住処となっている。
 俺、天城小次郎はここの所長であり親父代わりの桂木源三郎に拾われ、探偵術を学んだ。
 結果、俺はめでたく所員に採用されおやっさんのパシリ役として使われている。
 いつかおやっさんを超える事が俺の目標なのだが、まだまだ先の様な気がする。
 さっき俺を起こしたのが、桂木弥生。おやっさんの娘で桂木探偵事務所の三人目の所員である。
 俺との関係は・・・もう知っていると思う。
 負けん気が強くて、いつも俺やおやっさんの後ろに着いて来る。
 こうして、俺たち三人でこの探偵事務所を切り盛りしているのだ。
 さて、さっさと所長室へ行くか・・・。
「おやっさん、何か用っすか?」
 ノックも無しにずかずかと入り込む。
「起きたか小次郎・・・なんだその顔は?」
 おやっさんの顔が緩んでいる。
「?」
   鏡を見ると、ヒゲが書いてある。
「弥生のやつ・・・」
 俺を起こすときに悪戯したのだろう。
「まあまあ、そのままでのいいから聞いてくれ」
 急に真面目な顔になる。
「昨日の件だが、あれから手を引く」
 昨日の件、俺とおやっさんが張り込みをしていた件の事だ。
 そういえば、おやさんは俺より戻るのが遅かったはずだがピンピンしている。
「鍛え方が違うからな」
「えっ?」
「若者だったら、一日や二日寝なくてもいいくらいの元気がないとな」
 どうやら俺の考えていることが分かるらしい。やっぱりおやっさんには遠く及ばない。
「それより、手を引くって意味がわかっているのか?」
「・・・納得いかないっすね」
 この件はすでに一週間もかけて慎重に行ってきたのだ。あと一歩のところで手を引けと言われても納得できるはずもなかった。
「小次郎・・・まだ若いな」
「おやっさん、理由を教えてくれないと納得できない。あるんだろ理由が?」
「・・・今朝この写真が送られてきた」
 机の上に封筒を取り出した。
「送り主不明っすね」
 中を開けて、写真を取り出す。
「!」
 写真には全て弥生が写されていた。
「その写真の意味がわかるだろう。これが理由だ」
「・・・」
「分かったら戻れ、お前には次の仕事をしてもらう」
   無言のまま所長室を出た。
「小次郎、パパ何だって?」
 弥生が聞いてきた。
「ああ」
「小次郎、どうかしたの?」
「いや・・・なんでもない」
「なんでもない顔じゃない。何があったの?」
  「別になにもないよ。俺出かけるわ」
「小次郎!」
   俺は事務所を出た。どこへ行く当てもなかったが、苛ついた心が行き場を失っていた。
「パパ、何かあったの?」
   弥生が所長室に入ってきた。
「これは?」
 机の上の写真に自分が写っている。
「この間の旅行の写真だ。現像できたんでな、小次郎に見せてやったんだよ」
「良く撮れてるね。でも小次郎なんだか怒ってたみたいだけど・・・」
「ふっ、あいつもまだまだ若いという事だよ」
 パパは少し笑いながら言った。
「何があったの?」
 弥生にさっきの会話の内容を教える。
「それじゃあ小次郎、この写真を見て私が狙われてるって思ったの?」
「そうだな」
「だってこの写真、小次郎に撮ってもらったのに・・・」
 弥生が笑いかけている写真である。
  「人の心理というやつは意外と脆いんだ、その場の雰囲気に流されるものなんだよ。小次郎が引っかかるくらいだから、わしもまだまだ大丈夫だな」
「パパって意地悪ね」
「なんだ、パパより小次郎の味方をするのか?」
「だって・・・」
「どうした、顔が赤いぞ」
「パパの意地悪!」
 どうやら弥生も怒らせてしまったようだ。
「すまんすまん、それより出かけるから後は頼んだぞ」
「えっ?」
「今日は帰れないかもしれないから、先に帰っておいて構わんぞ」
「わかった。パパ気をつけてね」
「じゃあ、行ってくる」
「いってらっしゃい」
 弥生の見送りを受けて出かけることが出来るのも、あとどのくらいだろう。
 自分の犯していた罪から逃れられない時が来たら、弥生がその事を知ったら・・・。
「弥生はわしを許してくれるのだろうか?」
 呟いた言葉は、街の喧騒に吸い込まれていった。


   ◆

 夜になり、昨夜の張り込み場所に小次郎の姿があった。
 自分なりに考え、出した結論は一人でやるということだった。
 今回の件だけは譲る事はできない。ここで投げ出せば、自分を否定することになる。
 探偵になろうと思ったのも、この日の為なのだから・・・。
 警備体制は大体把握している。
 壁を乗り越え、警備の隙間を潜り抜け、屋敷内に入る。
 警報装置などを順番に解除して先に進んでいく。
 過去の記憶を辿る。
 ここに入り込むのは2度目である。
 昔、俺はここでおやっさんと出会った。


 両親の仇を探し回ってすでに二ヶ月が過ぎていた。
 少しずつ情報を集めていく事で“組織”の影を捕まえつつあった。
 そしてその情報網に引っかかったのが時村遼二という男である。
 だが、時村の名前を聞いた頃から彼の周りに不穏な空気が漂い始めた。
 常に周囲から監視されている雰囲気を感じはじめたので、出来るだけ人ごみの中に居るようにした。
 それでも調査をやめようとはせず、さらに調べまわった。“組織”についての情報は芳しくなかったので、時村に的を絞った。
 そんなある日の事、時村の居所をつかんだ俺は懐に銃を忍ばせてその場所へ向かった。
   そこで意外な再会をする。
「お前・・・天城じゃないか?」
 後ろから声を掛けられ、銃を抜きかけた。
 振り返ると、両親が死んだ時に会った刑事の岩村さんだった。
「岩村さん」
 と答えると、
「やっぱり、天城小次郎か。お前、どうしてここに?」
「その・・・」
   懐を気にしながら、どう答えようか考えた。
「お前、学校を辞めて家を売り払ったんだってな。だったらやることは一つか」
 咄嗟に岩村さんの顔を見る。
「俺だって伊達に刑事を二十年以上やってる訳じゃねーよ。お前のその顔をみりゃ大体想像ぐらいはできるさ」
「・・・」
「天城、お前いくつだ?」
「17です」
「17歳か・・・俺にもあったよ」
 岩村さんが遠くを見る。
「お前と同じように復讐に燃える日々がな・・・」
「えっ?」
「俺なぁ、娘を殺されたんだ。生きてりゃお前と同じ17歳だよ」
「娘さんを・・・」
「ああ。俺は必死で犯人を探した。いつかそいつを殺してやるためにな」
「岩村さん・・・」
 岩村さんは感情を込める事無く淡々と言っているのに、怒りが込み上げる。
「そして俺はついに犯人を突き止めた。相手は・・・まだ14歳の中学生だった」
「・・・」
「俺はそいつに向かって拳銃を突きつけ、引き金に指を当てた。そのガキ泣きながら俺に助けて、助けてって言うんだ。どっちが悪いのか分かりゃしねー」
 岩村さんは自虐的に笑う。
「だからって訳じゃないが、お前の事が気になってな・・・」
 自分の事を気にしてくれる人が居たことに、なぜか心が熱くなる。
「おい、泣く奴があるか」
   この二ヶ月の日々が熱く込み上げてくる。
 涙は暫く止まらなかった。
「天城、復讐なんてやめとけ。お前の両親の仇は俺が取ってやるから」
「岩村さん・・・」
「今からでも遅くない。表の世界に帰りな」
 僕は岩村さんと共に街に戻った。
 三日後・・・。
 コンビニにご飯を買いに行ったときに、偶然記事が目に付いた。
 “警官が刃物で刺される”
 急いで新聞を買って記事を見る。
「昨日未明に、帰宅途中の警官が背後から刃物で刺され意識不明の重体。名前は・・・岩村良作警部補・・・あの岩村さんか?」
 事実を確認するために、運び込まれた病院に向かった。
 病院には警察がガードを固めており、中には入れてもらえなかったので、近くの警官に確認した。
「すみません。新聞で見たんですが・・・」
   事情を説明すると、中から人が出てきた。
「君が、天城小次郎君か?」
「はい」
「そうか・・・。ガンさんは三ヶ月前の君の両親の事故について調べていたようだ」
「やっぱり、岩村さんだったんですね。容態は?」
「・・・先ほど、亡くなられた」
「!」
 目の前が霞んでいくようだった。
 そして、話の途中であったがふらふらと街に戻っていった。


   ◆

 どうやって来たのか覚えていないが、コインロッカーに入れておいた拳銃を取り出し、三日前の場所に居た。
「もう何も失うものはない・・・」
   場所は大きな屋敷の前。玄関の表札には“黒瀬”と書かれている。
 かなり広い屋敷で、何人か警備員が見受けられる。
 慎重に屋敷に忍び込むと、一番奥の部屋から明かりが漏れていた。ドアが少し開いており、中から声が聞こえる。
「それにしても、すぐに殺さなかったのは不手際だな時村」
「それは私ではなく、組の者の質が悪かっただけです。それにもうくたばりました」
「死ぬ前に何か言い残したかもしれないぞ」
「それは大丈夫です。病院内部に潜らせている者に警察を近づけないようにさせていましたから」
「根回しは早いな」
「なんといっても相手は警察です。隙を見せれば食いつかれかねないですからね」
「刺した奴から情報が漏れることは無いのか?」
「あいつらはただ上の指示に従っているだけで何も知りません。もちろんあなたのことはその上も知りません」
「まあいいだろう、約束の報酬を払ってやろう。それで、天城夫妻の代わりは大丈夫なのか?」
「その件はすでに処理しておきました。あの夫妻も突然辞めたいなどと言わなければもう少し長生きできたろうに」
 ガタ。
「誰だ!」
 小次郎の体が反応していた。
 手に拳銃を構えて、
「お前たちに復讐してやる!」
 室内には細身で眼鏡の男と、和服を着た恰幅の良い男が居る。
 多分、細身に眼鏡が時村だろう。
「誰かと思えば子供か・・・警備は何をしている」
 恰幅の良い方が聞く。
「今度から警備は倍にしておきます」
 細身に眼鏡が答える。
「おいそこのガキ、復讐だがなんだか知らないが、モデルガンで人が殺せると思っているのか?」
 細身に眼鏡が余裕ありげに聞く。
 言われてみれば、買ってから一度も使った事がない。もしこれがモデルガンだったら・・・。
 気をそらした瞬間、細身に眼鏡が素早く動く。
 慌てて引き金を引こうとするが、引けない。
 ガシッ。
 強烈な拳を顔面に受けて簡単に組み倒される。
「うっ・・・」
「小僧、覚えておくことだ。拳銃の引き金は安全装置を外さないと引けないって事をなあ。まあここで死ぬのだから、覚えても意味がないんだが・・・」
   男は安全装置を外して、銃口を向ける。
「さあ、死ね」
 引き金に指を掛けた瞬間、辺りが真っ暗になった。
 屋敷中の電気が消されたのだ。
「何事だ!」
 細身の眼鏡は慌てている。この隙に体を思い切って捻り、なんとか逃れた。
「くそっ」
   パンッ!
 乾いた銃声が響くと同時に衝撃を受けて肩口が熱くなる。
 転がりながらも部屋から出るが、真っ暗で何も見えない。
「こちっだ」
 暗闇の向こうから声が聞こえる。
「早く来い」
 迷ったのだが、ここに居ても電気がつけば終わりである。その声に掛けることにした。
 なんとか声の方へ走るのだが、腕が痺れてうまくバランスが取れない。
「こっちだ」
 声に導かれるように夢中に走った。
 不意に頬に風を感じた。屋敷の外に出たのだ。
「こっちだ」
 草叢の方から声が聞こえる。体全体が熱い。意識が朦朧としてしまい、走っている途中で気絶してしまった。


     ◆

 目が覚めると見知らぬ部屋のベッドの上に寝かされていた。
「ここは・・・痛!」
   肩に痛みを感じる。布団から起きると、肩に包帯が巻かれており傷口の手当てもしてあった。
  「目がさめたか」
 スーツを着た男が居る。声から屋敷で会った人だと分かる。
「これを飲め、少し不味いが体には良い。勿論毒など入ってはいない」
 自分で一口飲んで見せる。
 差し出された飲み物を一気に飲んだ。
「ゲホッ・・・」
 少しどころかかなり不味い。毒ではないにしても、これはひどい。
「それでいい。あとはゆっくりと休め」
 カチャ。
 部屋のドアが開かれ、女の子が入ってきた。
「紹介しよう、わしの娘の弥生だ。君の傷の手当てをしたんだ」
 女の子は父親の影に隠れるように立った。
「ありがとう」
 女の子に向かって例を言うと、恥ずかしそうにしている。
 なぜだろうと自分を見ると、来ていたものが無くなっている。
 上も下もである。
「全部君が?」
  「傷が治るまで不自由するだろうが、それまでは弥生が面倒を見てくれる」
 代わりに父親が答えた。
「あの、これ以上のご迷惑をかけたくありません」
   痛む体を無理やり起こそうとする。
「だめ!」
 女の子が駆け寄って体を寝かせる。
「だそうだ。とにかく君は早く傷を治してくれれば良い。後のことは傷が治ってからだ。ええと、君は・・・」
「僕は、小次郎。天城小次郎です」
「小次郎君か。わしは桂木源三郎だ」
 これがおやっさんと弥生に初めて会ったときである。
 それから2週間、ゆっくりと静養し傷が癒えた。なんといっても弥生の看病のたまものだろう。この二週間で多くのことを話した。お互いのこと、家庭のこと、趣味のこと・・・。
 そして、小次郎・弥生と呼び合うようになった。
 傷が治り、ついにお別れの日が来た。そこでこう言われた。
  「わしの事務所で働かんか?」
「えっ」
「知っていると思うが、わしは探偵事務所を開いている。だが、今のところわし一人なんだ。小次郎にその気があれば、わしが一から教えてやろう」
「でも僕は・・・」
 他人の屋敷に進入し、拳銃を向けたのだ。相手はこちらの顔をはっきりと見ているはずである。このままここにいれば、きっと迷惑がかかる。
「僕はここに居ることは出来ません」
「わしの下で働くのは嫌か?」
「そうじゃないです。ただ・・・」
「昨日の事が気になるか?」
「ここに居てはあなた方に迷惑がかかります」
「わしでは無く、弥生に・・・だろ」
「そっそんなことは・・・」
 どうやら二人の関係を見越しているようだ。
「その事ならもう気にしなくても良い」
「えっ?」
「わしが話をつけておいた。お前は何もしていないし、向こうもお前の事など知らん。それでもわしの所で働くのは嫌か?」
「・・・」
「どうした?」
「僕は・・・」
「そんなに復讐が大切か?」
「・・・僕の大切な人たちが殺されました。僕は、仇を取りたい」
「それならばなおさら、わしの所で働くべきだな」
「なぜですか?」
「お前がやろうとしたことはやつらと同じで、暴力によって相手を傷つけるだけだ」
「同じじゃない!同じじゃあ・・・」
「復讐するなら、相手をこっちの土俵まで引っ張り上げろ。そして、堂々と法で裁かせるんだ。それが本当に復讐になるんじゃないのか?」
「・・・」
「すぐに結論を出せとは言わない。考えてみてくれ」
「・・・待ってください」
「どうした?」
「俺で、俺なんかでよかったらここで働かせてもらえませんか?」
「いいのか?」
「はい!」
「わかった。手加減はせんぞ、ビシバシ鍛えてやろう。良いか?」
「はい」
「よし、じゃあ早速仕事だ。ついて来い」
 こうして俺はおやっさんの背中を追いかけた。
 いつかおやっさんの横に肩を並べる日がくることを目標にして・・・。


   ◆

 屋敷の中は静まり返っている。
 黒瀬晴信の出処進退に関わる資料を盗み出し、彼を今の座から引きずり下ろすのだ。
 黒瀬の私室に入り金庫を探そうとしたとき、
「遅かったな、小次郎」
 室内から声がした。
「おやっさん、どうしてここに・・・」
「お前の考えることなどお見通しだ」
「だったらなぜ・・・まさか!」
「ようやく気が付いたか。まだ若いな、小次郎」
「くそぅ・・・」
「お前を初めて見た時、なんと無茶をする奴だと思っていたが、同時にわしは後継者を見つけた・・・」
「・・・」
「これはお前の過去との決別であり、わしの弟子であることの最後の試験だった。お前は合格だ」
「おやっさん・・・」
「明日からはお前一人で動いてもらう事が多くなるな。さあ、戻ろう」
 一人前になった息子を見るように小次郎を見たあと、黒瀬邸を後にした。


   ◆

 数日後、黒瀬晴信のスキャンダルがマスコミから一斉報道され、彼は政界から失脚した。
 天城夫妻及び岩村警部補の殺害指示をした時村遼二は、組同士の抗争に巻き込まれてすでに死んでいた。小次郎の復讐はここに幕を下ろしたのだ。
 この日は、小次郎の桂木探偵事務所の見習探偵から正所員への格上げが決められた。
 今まで以上に忙しい日々が待っている。それがいかなるものかを想像する事も出来ない。
 だが、困難に負けることは決してないだろう。


      天城小次郎、新たなる出発である。


 そして物語は始まりを迎える。


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