あの人は今!?

準備はいい? 小次郎」
「ああ」
 小次郎は愛用のグロック22を構えた。
「覚えてる? この部屋」
「この部屋?」
「この部屋、あの事件の時に二階堂さんが殺された部屋よ」
「よくそんなこと覚えているな、氷室」
「あの事件についてのことは、私の知っている限り、思い出せる限りのものは記録してあるの。けして忘れないために……」
「氷室らしいな。あの事件は俺にとって、記録しなくても忘れない出来事だ」
 小次郎と恭子はプリンセスホテルの廊下にいた。今まさに、ホテルの一室に飛び込もうとしているところである。
 ひさびさのちょっとした依頼だった。内容は、盗まれた拳銃を取り返してほしいというものだった。依頼主は金持ちのボンボンで、銃を非合法に購入してはコ レクションするという隠れた趣味を持っていた。依頼主がある日、いつものように人気のない列車のよく通る高架下の河原で試し撃ちをしていると何者かに襲わ れ、銃を取られてしまったというのだ。何かの犯罪に使われる恐れもある。小次郎はこの依頼を受け、今まで捜査してきた。そしてたどりついたのが、プリンセ スホテルの一室だった。
 拳銃は麻薬密売という厄介な事件に使用されていた。小次郎は拳銃を取り返すと同時に、麻薬密売人を取り抑えなければならないという厄介を抱えていた。
「まりなを呼べばよかったな」
「私じゃ頼りないって言うの?」
「そうじゃないが、あいつに話を通しておけばあとあとの警察の捜査もスムーズかもなと思ってな」
「そうね。でももう遅いわ。今を逃したら次のチャンスがいつくるか分からないわ」
「だな。よし、んじゃ行くか」
 恭子は小さく頷いた。
バン!
 扉が勢いよく開かれる。
「動くな!」
 突入と同時に二人は銃を構えた。
 事前の調査で、中には二人いるはずだった。一人は小次郎達の突入に唖然とした顔をして椅子に座っている。
「ちくしょう!」
 ベッドに座っていた一人が銃を抜いた。
パン! パン!
「きゃあ!」
「氷室!?」
 乾いた音が二発。一発は小次郎のもので、密売人の銃をはじいて遠くに飛ばした。その前の一発は、密売人の銃から放たれたものだった。
「氷室、大丈夫か?」
「…………」
「氷室?」
「……平気みたい」
 よく見ると、恭子の右、十センチもない壁に弾がめり込んでいた。
「ちょっとびっくりしたわ」
「脅かすなよ」
 小次郎は、はじいた銃を拾いに行く。
「どうやらこれだな」
 それは盗まれた銃に間違いなかった。
「ついでに……」
 小次郎は机の上にあるアタッシュケースを開けた。
「このケースいっぱいの白い粉はなにかな?」
 少しニヤついて小次郎は尋ねる。
「ち……」
「ち?」
「チクショウ!」
 椅子に座っていた男が突然小次郎に飛びかかった。やけくそというやつだ。
「どわあ!」
 飛びかかられた小次郎は男ともつれあう。アタッシュケースが床に落ち、白い粉を入れた袋がどさどさと撒き散らされた。
 さっき銃を抜いた男も恭子に襲いかかる。
「ていっ」
 恭子はすかさず相手の腕を捉えるとそのまま一本背負いで投げ飛ばした。
 小次郎は床で男ともつれ合う。麻薬の入った袋が小次郎と男が暴れるたびに机の下やらベッドの下やらあっちこっちに飛んで行く。
「おい! おとなしくしろ!」
 やっと小次郎のほうが馬乗りになった。しかし男は観念しない。小次郎の股間に一撃を加えた。
「おうっっ!!」
 男は小次郎の下から脱出する。
「き……貴様……反則だぞ……」
 小次郎は股間を押さえながら膝をついた。
 恭子が取り抑えようとするが、その男はそのへんにある電気スタンドやらペン立てやら電話やらを投げてくる。
「おー痛て。こいつ……男の風上にもおけんな」
 小次郎がやっと立ち上がった。
 男は投げられそうなものがなくなると今後は床に落ちている麻薬の袋をめちゃくちゃに投げ始めた。袋のいくつかは破れ、空中に麻薬の粉が撒き散らされた。 袋もなくなると、今後はさっきの乱闘で袋から床にぶちまけられてしまった麻薬の粉を手で掴み、それを投げ始める。
 小次郎は、取り抑えようと近づくが、その粉を顔に思い切りかけられる。
「ぶわっ!ごほっごほっ……この野郎」
 小次郎は苦しそうに咳きこむ。
「いいかげんにおとなしくしなさい! 撃つわよ!」
 恭子が銃を向ける。
 男はパタッと静かになった。
 さっき恭子が投げ飛ばした男は床でのびている。部屋の中に静寂が戻る。
「小次郎、大丈夫? あなた吸い込んだでしょ。どれくらい吸い込んだか自分で分かる?」
「いや、大丈夫だ」
 言いながらも、小次郎は少し咳きこんでいた。


「ホントに大丈夫ね?」
 小次郎と恭子はプリンセスホテルを出てしばらく歩いていた。プリンセスホテルに到着したときはまだ明るかったのだが、今はもう日は落ちていた。麻薬の事件のほうは警察に任せて、二人はさっさと退散していた。
「大丈夫……だって言ってるだろう?」
「本当に? 何かボーとして小次郎らしくないのよ」
「俺だってぼーっとすることはあるさ」
「……検査してもらったほうがいいんじゃない?」
「大丈夫だ。自分のことは自分で分かる。大丈夫だ。それよりも検査なら内臓を調べてもらいたい」
「はあ?」
「どうも腹が痛い」
 小次郎はお腹を押さえる。
「ちょっと大丈夫? そんなに遠くないから病院行く?」
「いや……それよりも……、富士山に行きたい」
「…………」
 沈黙。恭子は言葉が出ない。
「な、何言ってるの……? 小次郎?」
「…………」
「あ、あなたまさか、またからかってるんじゃないでしょうね」
「…………」
 恭子は心配そうに小次郎の顔を覗き込んでいた。
「ちょっとそこのお二人さん」
 ふいに小次郎達に声がかかった。
 恭子が見ると、道で占いをやっている風のおばあさんがこちらに手招きをしている。
「なんでしょう」
 恭子が答える。
「そちらの男性の方。憑いてますね」
「……え!?」
 恭子は思わず声をあげた。
「見て差し上げましょう。お座りください」
「……ばっ、馬鹿馬鹿しい。憑いてるって何? 霊?」
「そのようです」
「…………」
「見てもらおう」
 小次郎はおもむろに席に着いた。
「ちょ、ちょっと、小次郎!」
「さてあなたは……」
 恭子の声を遮るように言うと、おばあさんは手の数珠をじゃらじゃら鳴らしながら小次郎の顔をまじまじと見つめる。
「……お腹、大丈夫かね?」
 おばあさんは言う。小次郎も恭子もびっくりする。
「は、はったりよ! さっき小次郎がお腹をさするところを遠くから見てたんだわ」
「原因をみてしんぜよう。……うーむ」
 おばあさんはまた数珠をじゃらじゃらさせる。
「どうやら、胃潰瘍ですな」
「胃潰瘍……小次郎そんなにストレス溜まってたの?」
「これは重要ですぞ。どうやら霊は自分の存在を伝えようとしているようですな」
「胃潰瘍で?」
「そう。シグナルです。ほかにもシグナルを出している可能性はあります。何か思い浮かびませんか?」
「…………」
 恭子はもう、わけが分からないという顔をしている。
「……そうか」
 しばらくしてやっと小次郎が口を開いた。
「だから突然富士山に行きたくなったんだな。だから『行きたいね、東海道の旅』とかJRのコマーシャルのようなフレーズが頭の中でリフレインしてたんだな。そうだな、二階堂!」
「あなたの知ってらっしゃる方ですか。私の手を握って下さい。その二階堂さんとお話をさせてあげましょう」
 小次郎はおばあさんの差し出した右手を両手で握った。
「……おい、二階堂か!?」
「……小次郎」
 おばあさんの声が聞き覚えのある、あの二階堂の声になっていた。
「二階堂……念のため訊くが、おまえの下の名前は何だ」
「僕は……進……二階堂進……」
「……なぜ俺に憑く。何か恨みでもあるのか。いや、あるのかも知れないが……」
「何故……何故だ……。何故……僕は……殺されなければならなかったんだ……」
「何故?」
 自分が殺されたことに納得がいっていないのであろうか。
「それはおまえが頑張りすぎたからだよ、二階堂。おまえ、国璽の値がつり上がるように頑張りすぎたんだ。さっさと手放しておけばよかったのに。相手はいつまでも交渉してくれるような奴じゃなかったんだ」
「……そうらしい。だが僕が何をした……」
 二階堂の声はいかにも恨みがましい。
「……おまえ……茜を利用したな」
「…………」
「うぶな茜を利用した。そしてそのために、茜は酷い目にあったんだぞ。死にかけたんだ」
「……その報いか……天罰か……。僕は桂木探偵事務所を手に入れるためになりふり構わなかった……その報いか……」
「……なぜ俺に憑く」
「……わからん。気がついたらこうしている」
「そんな無茶な。あの部屋でとり憑いたのか。あのおまえが殺された部屋で」
「……そうかもしれない。あの金色の髪が振り乱される光景が目に浮かぶ……昨日のことのようだ」
「どうすれば成仏するんだ」
「……いや、小次郎、君と話が出来ただけで十分。もうそろそろお別れしよう」
「……そうか」
 それを聞いて小次郎はやっと緊張が解けたような顔になった。
「それじゃあ、お別れだ、小次郎」
「ああ……」
 二人はお互いに笑い合う。といっても一方は、実際はおばあさんなんだが。
「…………」
 小次郎は肩が少し軽くなったような気がした。お腹の痛みも収まった。どうやら成仏したらしい。
「二階堂……」
 小次郎は少し顔を上げた。
「二階堂……地獄でも元気にやれよ……」




 恭子はまりなと電話をしている。
「それで検査の結果は?」
「やっぱり麻薬のせいだろうって。やっぱりあの時の小次郎ちょっと変だったし……」
「お腹は?」
「それが確かに胃潰瘍だったのよ。偶然……と思いたいわ」
「氷室さんはどう思うの?」
「信じてはないわよ。でも、うーん、半信半疑……かな」
「小次郎は?」
「今は笑ってるわ。あの時は変だったって」
「麻薬の効果で多少の錯乱をしていたのか……それともホントに二階堂さんにとり憑かれていたのか……。ねぇ、氷室さん、今日あたりまた小次郎が『行きたいね、東海道の旅』とか言い出すかもよ」
「やめてよ。あ、今ちょうど小次郎来たわ」
 恭子は受話器を少し離して小次郎に呼びかけた。
「小次郎」
「お、氷室。おまえ、伊豆に行かないか?」
「……え゛!?」
 恭子は一瞬凍りついた。
「何だよ。電話、まりなだろう? 言い出しっぺはまりななんだぜ。今度の休暇に伊豆に行く計画があるから行かないかって……」
 恭子は再び受話器を耳にあてた。
「法条さん!」
「あれ、ばれた?」
「……あなたにはいつか『まいった』と言わせてみせるわ」


 小次郎達には退屈すぎるくらい平和な日々。その後、一行が本当に伊豆に旅行に行ったかは、定かではない。