ダ ー リ ン & エ ク ソ ダ ス
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1

 この日、何度目だかのため息を出して、クーンは王帽をずらさないように、頭をかいた。

世界で一番ため息をついている王子だぞ、僕は。
 もう一人の自分が、そんなことを言っているのを、もう一人の自分が苦虫を噛み潰した顔で聴いている。

 王帽は重く、ずれたらよろけてしまいそう。
悪い学友達に教えられた、だらしない座り方で座る王子は、「むぅ」と、うなった。

「殿下。殿下ぁ。」
 声が、近かった。

声を聞いた瞬間、王子は少年らしい短絡的かつ、一直線の判断に出た。反射的とも言う。

 曰く、逃げよう。結婚なんてまっぴらだ。僕は13歳だから結婚から逃げる権利があるに違いない。

 そう思ったからには、王子の判断は速かった。
絶対地面に置いちゃだめとか言う王帽をハンカチの上において…習慣というものは恐ろしい…右を見て、左を見て、走り出す。

「居た! お待ちください!」
「僕も待ちたいのはやまやまなんだが、爺、残念だ。これも運命に違いない。」
「婚礼の時まで逃げなくてもよろしいでしょうが!」
「今逃げなきゃ、いつ、逃げるんだよ!」
「誰か!」
「…この貧乏宮殿に、他に人がいるわけないだろ!」


2

 居た。
クーン王子は、その身体にぶつかった後、恐る恐る上を見た。
 

「さ、宰相か。」
やな奴。
「なんの騒ぎですか、殿下。」
慇懃無礼。

 2mにも近づこうかという銀髪の宰相は、冷酷な、と評されそうな目で、王子を見下ろした。

「これは、宰相どの。」
 やっと追いついた爺は、顔をしかめてそう言った。ここだけは、主従ともども同じ意見らしい。
「ああ、侍従長どの。ご機嫌麗しく。」
「…」
 どうもお互い、同じ想いを共有していたようだったが、宰相は少なくとも、礼儀を守った。
「王子、結婚おめでとうございます。それで、この騒ぎは、なんでございましょう。」

 歯を、くいしばる音。
王よりもよほど良い生地を使った服、憐れむような眼差し。
 普段は毛布をかぶって出てこないクーン王子の自尊心に火がついた。
こいつと話していると、父上と母上が死んだことまで、口さがない噂を信じたくなる。
 腕を伸ばし、身を放すと、振り向く。
「なんでもない。戻るぞ。侍従長。」
「は。」


3

「殿下。」
 大股で歩く王子に、爺は口を開いた。自分の、すり切れた礼服の裾を直す。
「…お気になされますな。」
「気にしてない。」
「は。」
 

 王子は、一度だけ、少年らしく大きく息を吸って、その後無力な自分が悲しくて、爺を見た。
「すまない。お前のせいではない。許してくれ。爺。」
「いえ、もったいないお言葉でございます。」

「…」
「結婚も悪くないですぞ。殿下。」
 王子の表情をどう思ったのか、爺は笑った。

「使用人を首にしてまで必要なものなのか。」
「殿下、それは殿下が気になさる問題ではありません。これは、使用人達とも話して決めたこと。それに、少しは持参金も入るかと。」
「なおさらのことだ。僕は、嫌いだ。 …僕を好きな人が、苦労するのは。」

 爺は、真摯な王子の横顔を見て、顔をほころばせた。
「それが王家の務めでございます。父君に似ておられますぞ。それは名君でございました。」
「…覚えている。」
「そろそろ、御時間です。儀式の間へ。」


4

 儀式の間には、まばらではあるが、諸外国からの賓客が居た。そのほとんどは代理で、さらにその過半はあくびを殺せないでいた。

 誰もが、権力がどこにあるのか知っている。
これが、歴史を重ねてきた王家の末か。

 とっくの昔に引退していそうな大司教が、長い長いそして時々間違える宣誓文を読み上げていた。彼の王家に対する忠誠は疑うべくもないが、年を取りすぎている。

 剣技や詩文、政治を教える家庭教師達も奪われた。今は下々と同じ学校に居るだけ。
それもこのくだらない騒ぎで、退校を余儀なくされた。

「王子、宣誓を。…王子。」

「宣誓する。」
 そう言った瞬間に、十三歳のクーン王子は一度に十人の妻を持った。
まばらな拍手の中、一度も顔をあげなかった王子は、ふと、妻達を見る。

 一人は、名前をあげたい豪商の、自分よりは6つは年上であろう、冷たい感じがする娘だった。
 一人は、人質として嫁いできた自分よりもずいぶん小さな子供で、自分の境遇が分かっているのかどうか、にこやかに欠けた歯を見せて笑った。
 一人は、生まれる前から王家に嫁ぐ事になっていた巫女姫だった。
 その侍女まで妻の頭数に入っているという豪華さ。
しかもその侍女は、爺の孫、僕の姉のようなものではないか。

 視線をあわせようとしない、その人の横顔を見て、王子はまた悲しくなった。
逃げるように視線を動かす。
 知っているのは隣国の第十六王女だか、第十七王女で、小さいときに喧嘩した覚えがあるのだけだ。ウエディングドレスが、全然似合ってない。

 …

 かなり低い序列の妻の一人と、目があった。
目が、丸くなる。
 向こうが、微笑んだ。
 

 爺が手を伸ばすよりも速く、王錫が、落ちた。
頬が一気に熱くなったのが、自分で分かった。


5

ダーリン&エクソダス −1− レーヒの場合


6

 祝賀会を早急に切り上げると、クーン王子は王帽を取って、自室から出た。
たぶん、十人が十人、どんな顔をしているのか分からないが自分を待っているに違いない。
自分の寝室に、夫が来るか、それとも来ないのか。誰が最初か。

 だが、この場合の王子はそこまで思いやる事は出来なかった。
怒りと、それ以外の訳の分からない…やっぱり怒りだ…に身を焦がし、大股で歩く。
 

 大きく一度、呼吸して、第7夫人の扉を開く。

ベットのへりに座っていた自分と同じくらいの背丈の人影が、顔をあげる。
 安堵したような、そんな息。
 

「…よかった。他のひとのところに行ったら、どうしてくれようかと思った。」
「なんで、ここにいる。」
 右手を肩の高さまであげ、壁に埋め込まれた魔法の明かりをつける王子。
自分の顔を見ている、不安から安堵にさざめいた少女の顔が映る。
 握り締めて胸に当てていた細い手を、ゆっくりと降ろす。
少女は不意に、横を向いた。頬が赤くなっていたら嫌だと思っていた。

「…ひどい言い方ね。せっかく、クーンハットくんが困ってるかなって、来てあげたのに。 どうせ、灰色気分だったんでしょ?」
 低学・中学と下々の学校で席を同じくした学友の、彼の本当に数少ない友人のその言葉に、王子はまた怒った。 自分が結婚するために辞めていった使用人達を思い出した。

「学校は。」
「辞めちゃった。」
「馬鹿!」
「なによ、その言い方、せっかく人がつきあってあげているのに!」
「君まで、なんで学校辞めちゃったのさ!」

 学校と同じノリで言い合った後、また不意に少女は、横を向いた。

「知らない。」
「知らないじゃないだろ。僕と違って、あんなに勉強できたのに。」
「どうでもいいもの。みんなが勉強しろって押し付けるから、やってただけ。」
「…親は。レーヒのお父さんは熱烈な民主主義者だったはずだけど。」
 痛いところをつかれたという表情を横顔に浮かべた後、少女はそれをかき消すように大声をあげた。
「知らない。」
「知らないじゃないだろ!」
「うるさいわね! 王子のくせに。」
「それとこれは関係ない! 馬鹿、馬鹿! 君まで悪趣味な事態につきあわなくていいだろ!」
「…」
 言い返してやろうと王子の顔を正面から見た14歳のレーヒ夫人は、王子の表情を見て、黙りこくった。
 なにも泣かなくてもいいじゃない。そんなことを考える。
 

 長い沈黙の後、口に出したのは別の言葉だった。
「…でも、よかった。私のところに来なかったら、ホントにどうしてやろうかと思ったんだから。」
「知った顔を見て、無視できるほど強くない。」
 期待した答と違うのが、ちと残念だったが、それでもレーヒはまずまずの気分だった。
だって、迷わず王子は自分のところに来たんだから。
「でも、本当に王子だったんだね。」
「前から言ってたじゃないか。」
「でもクーンハットくんってば、ゼンゼンふつうだったから。行儀悪いし。」
「あれは、ナナキ達に習ったんだ。」
「エスケープも。」
「…まあ、それは別かもしれないけど。」
「うふふふ。」


7

 二人で、少しだけ笑った後、不意に王子は今が夜半で、ここが寝室で、目の前に居るのが、憎からず思っていた才媛兼喧嘩相手ではなく、妻だったことを思い出した。
 

 大変都合の悪い事に。相手も同じ気持ちになったらしく、レーヒは不意に視線を床に落とした。
 手で守るように、胸の位置にあわせる。うっすらと桜色の耳たぶが、柔らかそうだった。

 2秒半ほど、雄にとっては全宇宙を賭けた葛藤の後、テレ笑いして首を振る王子。…そう、遠い遠い未来になって王子は思った。この首を振った瞬間に、俺の運命は決まったと。

「そう、寝間着じゃなかったんだね。」
「誰が。クーンハットくんが訪ねると分かってるのに?」
「そうだったんだ。僕はてっきり、普段着のまま寝ているのかと思った。」
「口をひっぱるからね。そんなわけないでしょ。だいたい皺になるもの。」
「そうか。」
「…」
「…」
「まあいいや。今日はもう、帰る。これからのことは、明日話そう。レーヒなんか、明日は早くから、爺…侍従長から色々な説明があるはずだから。」
「そ、そうなんだ。じゃあ、明日ね。」
「うん。」

 ドアの前まで王子を送ったレーヒは、色々と大層複雑な感情を表情にして、宣言した。
「他の人のところなんかに行ったら、ひっぱたくから。」
「信用ないな。」
「ない。あ、でも約束したことだけは必ず守ったね。どんな事でも。」
「そうだったっけ。」
 自分じゃゼンゼン覚えてなかったが、レーヒはそれが嬉しいらしくて、微笑んだ。
「うん。…約束しなさい。クーンハット君。」
「分かった。」
 

 ドアをしめて、渡り廊下で夜風に当たり、王子は、もう一回首を振った。
逃げよう。今度こそ絶対に。
 逃げなきゃ、自分まで嫌いになってしまう。そう考えた。

終わり。